微量元素放射化分析


研究の背景

 元素定量分析は従来より様々な方法により多くの分野で行われており、その中でも放射化分析は広く用いられています。 特に1960年代にゲルマニウム半導体検出器が開発されてからは、高い分解能で検出できるガンマ線を用いた放射化分析が発達し、環境中にある試料、生体試 料、宇宙地球科学的試料など様々な試料中の微量元素の含有量測定が可能となりました。 しかし、この検出法は、原子炉から中性子を照射し放射化した試料を、単一のゲルマニウム検出器で測定して得られた1次元スペクトル中のピークを解析し定量 してきました。 多くの元素を含む試料の場合には生成放射能の相対強度は一部の核種に偏り、微量元素の同定は困難であり、化学分離を併用することが多く、 分離後の回収率の誤差などが最終結果に影響を与えるばかりでなく、化学分析の技術が必要となります。

高感度検出法の開発

 多くの放射性核種は同時に複数のガンマ線(多重ガンマ線)を放出することが知られています。これらを多重ガンマ線検出装置の2台以上の検出器で同時に検出 し、得られた2個のガンマ線エネルギー値を縦軸と横軸とする2次元マトリクス上に事象毎に加算すると、その上では同時計数するガンマ線のペアに相当するガ ンマ線ピークが現れます。この2次元ガンマ線ピークを解析することにより、従来の千倍である百万分の1の高分解能が得られ、数千の核種が同時に存在しても全 て完全に分離できます。また、1次元スペクトルのバックグラウンドは2次元平面状では線上に局在するために、それを除いた大部分の領域では数カウント以下に 押さえられ、微弱なピークの検出が可能になり、 1次元法に比べて1000倍の分解能が達成できます。
 

 
 

多重ガンマ線検出装置

 バックグラウンドを削減するBGOシンチレーターと高分解能ゲルマニウム検出器を組合わせた高感度・高分解能ガンマ線分析器を多数、球状に配置した装置 を多重ガンマ線検出装置と呼びます。同時発生する多重ガンマ線を検出して、原子核の構造、特に高スピン状態の構造を調べることを目的として開発されました。原子力機構タンデム加速器施設に は16台のアンチコンプトンガンマ線分析器からなる多重ガンマ線検出装置(“GEMINI-II”)があり、核構造実験で多くの実績を収めています。今回その新 しい応用を開拓したことになります。
 
 
多重ガンマ線検出装置 GEMINI-II


効果

 多重g線検出装置は高い検出効率を有するため試料はmgオーダーで足ります。 また、非破壊検査のため放射化試料をそのまま測定できるため非常に簡便であり、広範囲の試料にも適応できます。 例えば、環境にある試料や生体試料における微量な金属元素の定量や地球科学あるいは隕石の分析など宇宙科学の分野での利用が期待できます。 また129 I(半減期1570万年)や 244Pu(8080万年)を用いた年代測定が提案されていますが、これらの核種を本方法で分析する ことにより、 年代測定への応用も期待できます。さらに近年、生体内での微量元素濃度と生体機能との関連が明らかになりつつありますが、 本方法では広範囲の元素を同時に測定できるため、今まで見逃されてきた微量元素の量を調べて、その効果を新たに研究することが可能になります。

 この技術で、存在比10-9(10億分の1)オーダーの核種の定量が出来るようになり、49元素について適用可 能であることが明らかになりました。 今後、環境、 宇宙・地球科学、医療など広範囲の研究分野に貢献することが期待されています。なお、本技術を「多重 g線検出法と放射化分析を組み合わせた元素定量法」として特許出願しました。
 

 
表1 定量可能な元素
同時定量可能な元素(49種)
検出限界10-6-10-9(重量比)
Ag,As,Ba,Br,Ca,Cd,Ce,Cl,Co,Cs,Er,Eu,Fe,Ga,Gd,Ge,Hf,Hg,I,In,Ir,K, La,Lu,Mn,Mo,Na,Nd,Ne,Ni,Os,Pt,Ra,Rb,Re,Ru,Sb,Sc,Se,Sm,Sn,Ta,Tb, Th,Ti,U,W,Yb,Zn
従来の放射化分析法(一次元スペクトル)で可能な元素(23種)
検出限界10-2-10-3(重量比)
Al,Ar,Au,Cr,Cu,Dy,F,Ho,Kr,Mg,Nb,Pd,Pr,Rh,S,Sr,Te,Tl,Tm,V,Xe,Y,Zr

【プレス発表】
微量元素の新たな高感度・高精度定量法を開発− 簡便に広範囲の微量元素の同時定量が可能− (1999年12月16日)
 
 

微量分析の応用例

岩石資料

通産省工業技術院地質調査所の発行している標準岩石試料JB-1a及びJP-1を原子力機構、研究炉JRR-4で中性子照射を行い、 東海研タンデム加速器施設の多重 g線検出装置で1〜4日間測定を行った結果、化学分離なしで 27核種の元素が同時に完全同定出来ました。

ヨウ素129
環境中の放射性ヨウ素129(半減期1,570万年)の分析に応用し、迅速かつ高感度での定量に成功しました。

 放射能汚染で最も問題となる放射能は、揮発性があり甲状腺に溜まりやすい性質を持つ放射性ヨウ素ですが、汚染を引き起こす放射性ヨウ 素はすぐに通常の物質に変わり、全く区別できなくなる。このことが放射能汚染事故などにおいて、その汚染程度の定量を困難にしています。

 放射性ヨウ素129は、半減期が極めて長いことから、ヨウ素131などの放射性物質による環境汚染の指標となる。これは事故などによる短期的な汚 染の指標となるばかりでなく、核実験や再処理からもたらされる長期的な汚染の指標ともなりえます。しかし、環境中の放射性ヨウ素129の濃度は一般的に非常 に低く、バックグランド放射能との峻別測定が極めて困難でした。放射化学的手法によりヨウ素129の測定は行われていましたが、複雑な作業と作業者の大量の 被曝を伴うために、高感度で実用的な定量法が求められていました。

多重ガンマ線検出法は用いた複数のガンマ線検出による分解能の相乗効果から、従来の1台の検出器を使った放射化分析法と比べると約1000倍の精度 で分析が可能なので、ヨウ素129を安定同位体ヨウ素127に対して、10-13という微量まで放射化学的手法を用いずに定量 することが出来ます。海藻中のヨウ素の分析を行った結果、東海村近海では北海道産昆布と同レベルで、安定同位体ヨウ素127に対するヨウ素129の比が 3.5x10-10であり、バックグラウンドレベルであることが判明しました。

 129Iは1570万年の半減期を持つ長寿命の放射性核種であり、その起源には大きく分けて天然起源と人工起源の2種類が あります。 天然起源には地殻中のウランの自発核分裂や、大気中のキセノンと宇宙線との核反応によって生じることが知られています。一方、人工起源では核実験や原子力関 連施設から生じます。ヨウ素は可溶性であり、一度環境中に放出された 129Iは安定同位体である127Iに混ざることになります。1960年代に中性子放射化分析が開発され、129 Iの測定が可能になりましたが、同時に生成される不純物からのガンマ線の妨害を取除くための化学分離操作が不可欠であり、また高感度の定量が困難でした。

 ヨウ素の迅速、高感度定量に成功したことで、例えばヨウ素129の長半減期を利用して海底に眠る新エネルギー源メタンハイドレートなどの試料及び 鉱物試料の1000万年オーダーでの年代測定が実用レベルで可能となり、地球科学及び資源開発といった学術、産業応用へ大きく前進しました。

【プレス発表】
放射性ヨウ素129の迅速・高感度定量に成功(2001年10月17日)

● 中国イラン地層中のIrの濃集 (東大との共同研究)

 生物の大量絶滅を引き起こす要因となりうる物は様々なものが挙げられますが、その中でも隕石は恐竜の絶滅を引き起こしたものとして注目されています。隕石は 大きくコンドルールを含むコンドライトとそれを含まない非コンドライトの2種類に分類されます。隕石の約86%を占めるコンドライトの非揮発性元素存在度は ほぼ一定であり、太陽大気の元素存在度によく一致し、IrやSe,Ni,Co,Crなどの地球表面層には乏しい元素を多く含むことが知られています。つま り、生物の大量絶滅が起こったと思われる年代にこれらの金属元素が多く含まれた場合には、隕石が何かしらの寄与を果たしていることも考え得ます。生命が誕生 してこれまで、生物の大量絶滅は6回起こっているとされています。そのなかで、白亜紀/第三紀境界(K/T境界)においては恐竜の絶滅が起こり、多数のIr の強い濃集が報告され、この絶滅 に関して隕石が何かしらの寄与を果たしたと報告されています。また、ペルム紀/三畳紀境界(P/T境界)においても、生物の大量絶滅が報告されている。この 絶滅における隕石の関与を調べるため、化学分離を必要としない多重ガンマ線検出法を用いた中性子放射化分析による元素定量法によって検証を行ないました。

● 漢方薬の元素定量 (日大との共同研究)

 漢方薬として用いられている薬用にんじんには産地や育成期間によってその効能や程度が異なることが知られています。日本産、韓国産の薬用人参を多重ガン マ線検出法を用いた中性子放射化分析によって元素分析を行い、化学分離を用いずにその元素構成を明らかにしました。 測定された元素はK, Sc, Mn, Na, Co, Ni, Ga, As, Se, Br, Y, Cs, Ba, La, Eu, Gd,Uであり、数%からサブppmのオーダーまでの広いダイナミックレンジで一度の測定で、かつ化学分離なしに定量しました。

 畑のキャビアと呼ばれ、強壮・利尿効果のある漢方薬に利用されているとんぶりや漢方薬に用いられる多種のキノコを多重ガンマ線検出法を用いた中性 子放射化分析によって元素分析を行い、化学分離を用いずにその元素構成を明らかにしました。 測定された元素はK, Sc, Mn, Na, Ga, As, Br, Y, Cs, Ti, La, Eu, Smであり、数%からサブppmのオーダーまで一度の測定で、化学分離なしに定量しました。

● 米のカドミウムの定量 (日大との共同研究)

 日本で初めて公害病に認定されたイタイイタイ病は米のカドミウム汚染が原因でした。現在(20022年)の食品衛生法の許容基準は1ppmであるが、 これは1日300μgのカドミウム摂取量に相当します。近年、日本の一部の地域で生産された米がこの許容基準を上回るカドミウム濃度であったことが報告され ています。これらのカドミウム濃度を迅速に高感度で測定できる方法はなく、米の安全性を確保するために新たな定量法が求められています。

 多重ガンマ線検出法を用いた中性子放射化分析および即発ガンマ線分析によって米のカドミウム濃度を測定する実験を行っています。この多重ガンマ線検 出法を用いたカドミウムの定量法の特徴は、高分解能であるために化学分離を必要としないことにあります。 カドミウムは非常に断面積の大きい同位体 113Cdが存在しますが、114Cdが安定核であるために即発ガンマ線分析が有効です。現段階では、シングルガンマ 線測定を行っています。この測定により7200秒で米に含まれる0.2ppmまでのカドミウム検出に成功しました。多重ガンマ線検出法を適用すれば、検出限界と 測定時間の大幅な改善が見込まれます。今年度(平成14年度)はNaIとHPGeを用いた多重ガンマ線検出法を用いた実験を予定しています。

● その他の応用例

食品に含ま れるCd,As,Hg,Sb等の重金属汚染

特にCd は国際基準(WHO/FAO)の見直しによって日本の基準値も引き下げられようとしていますが、新基準値を迅速に(実用 レベルで)測定できる分析法は他にありません。

土壌中の重金属汚染(Cd,As,Hg,Sb,Se,B等)

土壌汚染対策法(H15,2)により汚染許容濃度が厳しくなり、さらに土地所有者に汚染調査の義務を負うため、複雑な化学分離等を行うことなく、一度に重金属を定量可能な定量法は有効です。

放射能汚染(土壌など)の定量

汚染直後の定量だけでなく、長半減期(129I等)の元素を利用した長期にわたる 汚染の程度や範囲を定量可能です。

次世代エネルギー源(メタンハイドレート)の年代測定 (東大との共同研究)

ヨウ素129の長半減期(1570万年)を利用してメタンハイドレートの年代、成因を調べ、地球科学、環境科学研究に貢献します。

貝殻における遷移金属元素定量による海の状態の推定 (東大との共同研究)

化石の貝殻の定量を行えば古代の海の酸性度なども1年単位で特定することが可能です。

金属に含まれるトランプ元素 (千葉大との共同研究)

最近の高付加価値金属は、不純物元素をppmレベルで制御する必要があ り、トランプエレメント(B,As,Sb,Bi)を極微量定量する必要があります。特に再生鉄の利用推進を図る上では必要不可欠です。

半導体における微量元素分析 (千葉大との共同研究)

高集積化が進むにつれて、微量不純物の影響が大きくなっており、最近ではB、Al、Feなどが問題とされており、簡便な超微量分析手法の確立が急務とされています。

青銅器、土器などの多元素同時微量元素定量 (国立歴史民族博物館との共同研究)

青銅器などは製法や原料の産地によって含まれる微量元素の濃度パターンが異なる為、産地や年代を推定することが可能です。

海洋深層水の微量元素定量 高知県との共同研究


用語解説

中性子放射化分析
    試料を原子炉からの中性子を照射し、放射化する。これを単一の高分解能ゲルマニウム検出器で測定し、得られた一次元スペクトル中のピークを解析し定量を行 う方法。 一般的に生成放射能の相対強度は元素の含有量と中性子放射化断面積に比例するので、微量成分からの放射能は、主要成分からのそれに妨害され検出が困難にな る。例えば生体試料では 24Na、56Mn、42K、82Br、 また地質学的試料では 24Na、56Mn、42K、46Sc、59Fe などの放射能が強いため、 単一の検出器による一次元スペクトルを解析する方法では、他の短寿命核種のピークがこれらに隠れて検出されない。 そのため、化学分離により強い放射核種を除いた後に放射線測定を行うなどの必要がある。 しかしこのためには化学分析の技術が必要なだけでなく、化学分離を行った後に原子炉において再放射化を行い、目的核種の回収率を求めなくてはならない。 さらに化学分離の操作を経る事により分析の精度に影響を与える事も懸念される。

2次元マトリクス法
    同時に発生した複数のガンマ線を、多重ガンマ線検出装置の2台以上の検出器で検出し、 得られた2個のガンマ線エネルギー値を縦軸と横軸とする2次元マトリクス上に加算してピークを検出する方法である。 1次元スペクトルのバックグラウンドは2次元平面に引き延ばされ、数カウント以下に押さえられるため、微弱なピークの検出が可能になる。  


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